どうせdie

# 元旦から朝日新聞は「ロストジェネレーション」という特集を組んでいる。今、25歳から35歳の人間を指すらしい。毎日新聞では「失われていくもの」という特集がやはり元旦にあった。どうやらマスコミは、格差社会やら労働意欲の低下やら不正ダウンロードやら児童ポルノやら、最近の世の中で起きている構造的問題の多くが、私達の世代が何かを失なったせいだと捉えているらしい。こうした、いかにもマスコミ的なレッテルの貼り方は、ほとんど人格攻撃に近いものがあるが、まあ私も団塊の世代団塊ジュニアやバブル世代をときどきバカにするので、あんまり文句は言えない。

# 奇妙なことは二つあって、そのうちの一つは、こうした不幸な世代を生んでしまったことに対する反省がマスコミからはまるで伝わってこないことである。まるでオーメンのように、子供を生んだら悪魔の子だったと言わんばかりである。そりゃあないよと私は言いたい。だって格差社会の要因となったバブル崩壊やら就職氷河期やら、あるいは中途半端な成果主義やら年金システムやらの設計に、私達は一切関与していない。もし私達が何かを失った世代なのだとしたら、それは与えられなかったからである。あるいは、もっと大切な視点としては、必要としなかったからである。奇妙なことのもう一つは、私達が様々なことを失ったかわりに何を得たかという記述がやはりまるでないということである。例えば最近の若者はマスコミを信用しなくなったと言われる。匿名メディアで言いたいことばかり言っていると言われる。これはメディア・リテラシーや表現力の向上とも言えるはずだが、そうは言われない。あるいは最近の若者は購買欲が無いと言われる。思春期前後にバブル崩壊を眺めてきた私達は金、車、服、といったステイタスに無関心である。禁欲的と言ってもいいはずだが、そうは言われない。「ロストジェネレーション」というのはつまり、インターネットの洗礼を浴び、マスコミにとって利用しづらい世代のことなのだろう。だからこそこんな風に敵視されるのかもしれない。全く、名誉なことだなあ。


http://youkoseki.com/diary/2007/01/04#p2